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近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net

1 :名無し三等兵 転載ダメ©2ch.net:2016/04/23(土) 23:58:23.34 ID:PoPQHH/z
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。

国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。

中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。

このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照

前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/


参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm

2 :名無し三等兵:2016/04/24(日) 00:00:16.44 ID:KP4nlS3j
2 名無し三等兵 sage 2014/01/05(日) 12:46:21.12 ID:???
古代・中世総合スレ: 
[武士騎士] 古代中世総合17 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1387871002/

19世紀軍事総合スレ:
[19世紀後半幕末総合]南北・普仏・西南・日清戦争06
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1376388340/

理論・歴史系スレ
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1290002931/
(dat落ち)

航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50
(注 世界史板です)

3 :名無し三等兵:2016/04/24(日) 07:04:37.58 ID:IKm4HD1z
>>1
スレ立て乙です。

4 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 14:23:25.50 ID:/4tV27V3
なんか過疎ってるなー
あ、そうだ
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊では銃兵はパイク兵の援護下にあったけど
カウンターマーチをするときってパイク兵ってどこにいたの?
銃兵の後ろにいたらいざという時に銃兵を守れないしかといって銃兵の前にいたらカウンターマーチのじゃまだし

5 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 14:56:56.66 ID:K6cFWWVc
パイク兵は両脇や後ろにいて必要な時に前に来る(銃兵が後ろに下がる)で何が問題なのかさっぱりわからん

6 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 16:38:38.96 ID:QW4vOSpv
いざというときとは言っても、例え騎兵突撃でさえも隊形変換する余裕は有るかと
タイミングを読み間違えたとかなら別だけど

7 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 17:15:22.97 ID:K6cFWWVc
重装騎兵の衝撃力失った17世紀の騎兵じゃ十分余裕あるわ。ただしポーランド除く

8 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 22:44:27.62 ID:GI5B+jdQ
スウェーデン式戦隊でパイク兵が正面の場合後方のマスケット銃兵との距離は通常50歩幅とあるけど一歩幅を0.5mとしても25m離れてることになる
更に後方に予備のマスケット銃兵が左右に展開できるように配置されてるとはいえ
離れすぎな気がするんだけど良いんだろうか

9 :名無し三等兵:2016/05/12(木) 14:27:28.05 ID:/h/TbcBG
大きく感じるけれど、隊形変換等の機動を考えると必要なのかもね
ナポレオン時代でも、大隊(横隊)や中隊の間隔は、横方向は余り離れていないけれど、縦方向は旋回の余裕を取るためか結構離れているし
(縦隊は横方向も結構離す時も)

10 :名無し三等兵:2016/05/18(水) 23:09:30.49 ID:fZonTZFx
スウェーデン大隊やオランダ大隊って6列横隊でカウンターマーチするときどのくらいの距離から射撃開始してたの?
スウェーデン式大隊が「充分に近づいた上で」3列横隊に展開して一斉射撃で隊列を崩すっていう説明を見て気になったんで

11 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 07:32:27.66 ID:esp2IosJ
近世について調べ始めたばっかりの人だけどナポレオン軍ってなんで強かったの?
7年戦争であそこまで強かったプロイセン軍がコテンパンにやられた理由を知りたい

12 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 12:27:26.76 ID:Fy9tkfTT
7年戦争でプロイセン軍がそこまで強かったイメージがない

13 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 19:14:13.54 ID:RN296Yoz
7年戦争のプロイセン軍は際どい勝利のイメージ。
ナポレオン軍も結構際どい勝利だよな。

14 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 22:51:54.28 ID:QqyJ/QX6
数が多い、戦死者が出てもひるまない→それに応じた戦術が採れる
かなあ?

15 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 00:06:44.66 ID:+Jefcif9
本質的には、封建国家と国民国家・近世と近代 という国家体制上の時代格差だと思うのさ
封建からの脱却に伴う国力の拡大、中央集権による国力全ての戦争経済化、ナショナリズム
を背景にした国民・兵士の高い士気、古い体制に囚われない軍事改革など‥

ここら辺、例えば中世末期の封建・分権国家に対する絶対王政国家の優越とかと通じる話だね

16 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 19:04:55.72 ID:mI2KDQdm
>>11
徴兵か徴集の違い

徴兵は町と村ごとに人口の〇%を何年間か軍隊で給料払って訓練する
活躍すれば将軍になれる(少なくともナポレオン軍は)


徴集は戦争の度に必要な人数を雇って戦いが終われば解散する

徴集だと最初に契約金を貰ってあとの給料は戦況次第(つまり勝ち続ければ分け前があるけど負ければ分けるもの自体がない)
しかも怪我しても何の保障もないし、そもそも基本給が低いから、みんな命をかけたがらない
酷いと現地で部隊が解散するから自腹で帰らないといけないwww

17 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 19:45:20.32 ID:epYUH6WG
封建制も後期の頃は、徴兵による国家の常備軍(長期兵役)が主流だよ
選抜的徴兵+長期兵役(時には10年を超える)を背景にした封建軍の強さ・高質さ、
ってのは仏革命政府の軍隊編成やエピソードでも歴然としてる

プロイセンの「徴兵制度による超大規模な国家常備軍」とか有名じゃんじゃん

18 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 01:16:13.08 ID:R7ornnME
それでも国民軍の異常な士気の高さには勝てなかったからなあ

19 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 03:24:36.38 ID:m3jOdBm+
>>18
士気じゃない、金の問題が大きい

封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた

20 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 03:50:33.70 ID:4SwKkv19
>>19
>で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた

言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内?
国外?

イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。

肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故?

> 封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
>共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

イギリスは何制?

てか、過小評価されがちなイギリスの先進性、(評価最高の海軍は兎も角)特に陸軍のそれがよく分かるよな。
ワーテルローはナポレオンの記念地ではなく、ウェルズリーの記念地。

21 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 09:10:31.66 ID:ylgiHKQr
横からですが
>>20
>言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内外の金持ちからでは
今現在各国でやってるのと同じでしょう

>イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
>肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故
フランスの信用度がイギリスのそれより低かったからでしょう
平たく言えばイギリスの方が、借金の返済がスムーズだったということで
あとまあ、中央銀行やら証券取引所やらの出現もイギリスのほうが早く

>イギリスは何制?
立憲君主制ですな
とりあえず名誉革命以降、予算の決定とか国債の発行認可とかは議会の専権事項だったとか

22 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:13:13.77 ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争時、イングランドは軍事費の半分以上を国債で賄っていたことはあまり有名じゃないのか

23 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:46:44.60 ID:m3jOdBm+
>>20
アジアやカナダ、南アフリカなどの植民地で活動する商人は、地元に金融市場がなかったのでロンドンで資金調達と余分な資金の運用をしていたのです
また、国内にも貴族がいます
ですから国債を買いたい人がいたわけです

ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです

イギリスは立憲君主制の志願兵制

つまり近衛騎兵連隊に代表される王様のエリート部隊と食い詰め者(貧乏人)の併用

だから優遇されてる部隊と一般部隊の待遇は段違い
イギリスが伝統的に歩兵用ライフルがショボいのも立憲君主制だから

24 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:56:28.46 ID:Y0J2rcAb
>ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
絶対王政の時代のフランスは国債まともに整備できておらずナポレオン期の方が取引されてるのを知らないようだ
あと、革命初期に貴族層粛清した結果それまで英海軍に対して優位であった仏海軍(七年戦争の戦訓からブルボン朝は
海軍を強化し米独立戦争でも英海軍をけん制していた)が弱体化し、その結果海外市場も弱体化している

25 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:00:16.74 ID:m3jOdBm+
イギリスの資金調達は永久債というのが有名で、金利だけ払うという国債が発行された

これは元本は返さないけど金利は永久に払うというもので

例えば1万ポンド永久債を5%で買うと毎年500ポンドいつまでも貰える

イギリス政府が元本を返すと、契約終了(返済完了)

26 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:23:13.00 ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争期にはコンソル債使ってなかったと思うけど

27 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:26:41.61 ID:CnOOhqmw
このころの社会システムとか全然知らんけど傭兵の値段も安くなったよね。
1600年のスペインが植民地も含めた動員数15万でヒーヒー言ってたのに
18世紀のフランス軍はその倍以上の数を維持できてたもんな

28 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:30:39.00 ID:m3jOdBm+
>>24
いや、国債はそもそも「あんまり必要なかった」のが事実

何でかというと、当時の王様や貴族の買い物はツケが効くから借金する必要がなかったし、公共事業もしなかったから

29 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 13:40:38.84 ID:IyTsFi/q
>>27
スペインじゃなくカスティーリャ王国の軍隊だったからな
統一国家だったらまた違ったかも

30 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 17:33:15.69 ID:lk+z/N11
>>28
ツケ自体が負債じゃね?あと、結構借金してるぞ。国王個人に対する借金だから代替わりやらなんやらの時によく帳消しにされたが。
なのでリスクが高くなって金利が上がる→返済額が膨れ上がって帳消しにされるリスクも上がるになったが

あと国債の代替として売官もあったような。気軽に買い戻せないわ金利代わりに給料払わないといけないわ
買った方は金儲けにいそしむからいいことろくにないけどまとまった金が手に入るからやめられなかったらしい

31 :19:2016/05/28(土) 18:07:11.07 ID:sjhHHZnG
>>30
ツケは商人からすれば個人相手の売掛け金だろ?王様からすれば商人1人を裏切っても何も怖くない

で、国債は証券化(切り分け)された債権だから会社や個人同士で売り買いできる
つまり流動性(いらなくなったら売れる)がある
で、流動性があると金利は下がる

仮にイギリス国債がデフォルトしたら国内外の金持ち数千人がイギリス政府に恨みをもつリスクがあるけどね

32 :19:2016/05/28(土) 18:14:55.15 ID:sjhHHZnG
官位の売り買いはヨーロッパだけでなく日本でもあるな、樋口一葉の父が同心の位を買ってる

中国もそうだし、現代でも「民営化」と言って水道公社を買収して事実上の「買官」してるような国がある

33 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 18:42:44.59 ID:Y0J2rcAb
国王が金借りる規模の商人て国内で最も有力な商家だったり、都市国家経営してるレベルなんで
国王が踏み倒すと踏み倒しでなくなる債務の額どころでない被害が国家に出たんだけどね
有名どころだとスペインに金貸していたジェノヴァがスペインの度重なる破産でスペイン援助から
手を引いた結果、ネーデルランドが独立したりと

34 :19:2016/05/28(土) 18:47:05.56 ID:m3jOdBm+
フッガー家もそうね

35 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 18:49:40.11 ID:Y0J2rcAb
一人二役に踊らされた自分御馬鹿さ加減に腹が立つ

36 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 18:57:04.07 ID:aFJfEKfx
>>27
18世紀の中期以降は選抜徴兵制が欧州各国で始まってるし

37 :19:2016/05/28(土) 19:12:57.26 ID:m3jOdBm+
>>35


38 :名無し三等兵:2016/06/02(木) 20:38:38.14 ID:jD7Yp34R
昔読んだ漫画で食料がなくて靴を食べるみたいな場面があったのだが革靴って食えるの?

39 :名無し三等兵:2016/06/02(木) 20:41:23.28 ID:gSxpaGc9
>>38
チャップリンに聞いてみな

40 :名無し三等兵:2016/06/02(木) 20:41:40.34 ID:o/G1AF2M
大昔の革靴は食べようと思えば不可能ではないってレベルで
近代の革靴は加工時に使う薬品が人体に有害だった気が
中世の時点で皮の加工に砒素使うことあったから革製品食べるのはよした方が

41 :名無し三等兵:2016/06/02(木) 21:19:12.46 ID:N73hhW6w
食料になる‥と思われていた(実際は栄養にならないし、腹を下すのがオチ)。

ナメシ加工された革は食べられない・消化できそうにないけど、靴・特に靴底のはクッション性や
保温性から非常に厚いので、表皮部分を剥けば生・無垢の皮(のようなもの)が得られる。
コレは食べられそうだ。って概念?がアッチの世界に普及していたのよ。
飢餓状態に陥って食べた、って話は結構みるよ(南極探検のスコット隊とか)

東洋の、土壁のつなぎ材(藁など)は食べられる。みたいなもんだな
マネしないように

42 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 03:15:41.23 ID:N2kPytAU
クラウゼヴィッツ読み直してるけどこの時代のことを知った後だとまた新鮮な感じで読めるな

43 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 20:43:49.97 ID:bN28CLn1
「戦争論」は現代の軍事研究のバイブルであると同時に日本語で手に入る近世の戦争を研究した最高の本だからな

44 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 01:31:12.17 ID:A9kd6FK9
親衛隊と近衛隊ってどう違うの?

45 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 01:59:57.42 ID:2t/ZBQvT
翻訳の問題では。たしか中国語じゃどっちも禁衛隊なような。

46 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 02:13:44.08 ID:6C1rrvHb
親衛隊(gards)の中で皇帝・国王を守るのが近衛と訳されるんじゃなかった?
だからマレンゴにおいて第一執政が投入したgardsは親衛隊だけど
ワーテルローにおいて皇帝が投入したgardsは近衛隊な訳だし

47 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 12:57:06.92 ID:q9r5x0Tw
>>44
待遇がひいきされているのが親衛隊で
国家元首の護衛が近衛のイメージがあるなぁ

48 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 13:06:46.20 ID:AyrV8reN
とある幕末日本を扱った海外産RTSではガーズを護衛隊と訳しててはじめ意味がわからなかったな
まあ「double times」を「ハイノハヤサデ-」とやらかしたり色々楽しいゲームではあったんだが

49 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 18:54:35.81 ID:VDmFtzLl
逆に旗本とか御家人が海外でGardsなんて訳されてる可能性はないのかのう。

50 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 19:07:55.66 ID:2t/ZBQvT
長谷川平蔵とこの御先手組なんかならアドバンス・ガードで正確な翻訳なんだろうけど。

51 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 20:32:50.30 ID:1hRIcThg
奥詰銃隊や御持小筒組(撒兵隊)はGuardsと言えるのでは?
海外で呼ばれているかは分からないけれど
撒兵隊の中で木更津に脱走しなかった兵士は、慶喜公が駿府に移封される時に護衛として付き従ったし
ナポレオンに付き従いエルバ島に航った帝国親衛隊と重なるなぁ

52 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 21:32:08.57 ID:iaQSYBjU
江戸幕府の将軍近衛といえば小十人組かな
お揃いの制服(危急の際は将軍も同じ羽織を着て見分け付かなくするため)で常に帯同、
平時は将軍の警護+個人的なエージェントとして国内各地に派遣されたり‥
と一般の旗本御家人とは毛色が違う

53 :名無し三等兵:2016/06/09(木) 18:56:45.03 ID:9BozQf4T
そういえばロシア遠征でフランス軍近衛軍団ってどのくらい被害を受けたんだろね
損害率が大陸軍と等しいなら近衛隊を構成していたベテラン兵も全滅に近かっただろうし
一般部隊にもベテラン兵なんていなくなっただろうし

54 :名無し三等兵:2016/06/09(木) 22:24:22.06 ID:hYIXztty
帝国親衛隊の兵力の推移

帝国親衛隊、第3師団
※1812年7月1日の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力
※「オランダ」のみニェーメン渡河時の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力

第1及び第2親衛隊徒歩猟兵連隊(4個大隊)
将校94名、下士官兵3076名 / 415名

第1及び第2親衛隊徒歩擲弾兵連隊(4個大隊)
将校83名、下士官兵士2808名 / 408名

第3親衛隊徒歩擲弾兵連隊「オランダ」(2個大隊)
将校34名、下士官兵士1462名 / 11名

55 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 01:37:37.24 ID:09FHx9W4
ヒェッ…

56 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 09:23:09.15 ID:IfKX8ove
ここ
http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/garde.html

によればワーテルローの近衛隊突撃に加わったのは老練親衛隊3個大隊を除く5個大隊2850人となってるけど
ロシア遠征前の1個近衛連隊以下の人数しかいなかったってことは結局ロシア遠征前の規模まで再建出来なかったってことなのかな?

57 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 12:20:46.53 ID:zw1RR6iG
>>56
>>55の最初の2例は2個連隊の合計(2個大隊×2)です
分かり辛い書き方だったかな・・・

親衛隊の歩兵科連隊は
1個大隊:中隊(200名)×4個
1個連隊:大隊×2個+連隊本部=約1600名
だったかと
記憶ですが

なので、ロシア戦役の1個連隊以下とは言えませが、定数割れ状態だったのは確かかと
ワーテルロー戦役に先立って、徒歩猟兵と徒歩擲弾兵の第4連隊が編成されましが、戦役開始に間に合ったのは第1大隊のみだったと
第2大隊はパリ近郊で編成中

58 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 12:33:10.68 ID:gEXkwvDS
あの突撃ってそんなにしょっぱかったんだ
映画のイメージのせいで10000とは行かなくても5000くらいはいると思ってた
ナポレオンも半ばヤケクソだったんだろうなあ

59 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 12:40:05.69 ID:gEXkwvDS
>>57
ああすみません
20世紀くらいのイメージで1個連隊3000人と勝手に思い込んでました

60 :名無し三等兵:2016/06/10(金) 13:03:23.78 ID:JvYmfkR8
実際にはデルロンとレイユの軍団の残存兵力が助攻してますし
ネイがあそこで騎兵を消耗せず親衛隊突撃の支援に回せばだいぶ違ったと個人的に妄想

61 :名無し三等兵:2016/06/21(火) 18:37:51.89 ID:8c1vFxi1
ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう

62 :名無し三等兵:2016/06/29(水) 19:06:58.09 ID:sjG3R1pr
カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない

63 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 18:10:43.37 ID:y4SHu2qh
16世紀ランツクネヒトの登場する会戦をスパイス程度に小説で描こうと思っているのですが
押さえておくべきポイントは何でしょうか
銃隊を槍方陣が護衛し
砲が槍方陣を崩し騎兵が突撃するという認識でいるのですが(これだとカウンターマーチになっちゃって時代が下りすぎかな?)
この場合雑多な武器を持つ歩兵たちはどこに登場の機会があるのかなというのが疑問でもあります

64 :名無し三等兵:2016/07/11(月) 11:15:20.51 ID:JW1fkkcG
自分で描写思いつかないなら当時を題材にした映画でも見ろよ
ここで聞くもんじゃねえよ鬱陶しい

65 :名無し三等兵:2016/07/11(月) 11:52:38.79 ID:vskV3pzy
>>63 その辺の描写なら、読者は「ばら物語」を読んでると思わないと。ちょっと画像検索してみてくれ。

66 :名無し三等兵:2016/07/11(月) 12:22:30.16 ID:UOrr8LSy
>>65
回答ありがとうございます
バラ物語読んでみます

67 :名無し三等兵:2016/07/12(火) 18:51:33.50 ID:Bt+Bhpc0
>>63
1520年代のランツクネヒトの連隊は少なくとも300〜400人の中隊10個から成ってた
主な武器はパイクだったが連隊の1割以上はアルケブス装備してた
といっても装備してるアルケブスは発火方式さえバラついてたらしく絵画史料だとタッチホール式とマッチロック式が混在してたりする
銃兵は槍兵縦隊の正面で敵へのかく乱を行っていたらしい

1519年からは神聖ローマ帝国の敵の軍に従軍することは罪とされてたが実際には守られてなかった
またスイス傭兵と比較して低く置かれることが多かったがスイス傭兵がビコッカで大損害を負った後は実力が逆転したそうな

68 :名無し三等兵:2016/07/12(火) 19:13:44.81 ID:/PrHhK0h
>>67
ありがとうございます
ばら物語にもそのように描写されておりました
スレ汚し申し訳ありませんでした

69 :名無し三等兵:2016/07/12(火) 22:26:43.29 ID:O3naFbu7
>>63
ランツクネヒトの編制例(カール5世時代?)

中隊:400名(大尉、中尉、その他の下級将校や下士官を含む)
400名の内100名はドッペルゾルドナー(倍給兵士)で、 100名のドッペルゾルドナーの内50名はアルケビューザー
通常の兵士でアルケバスやクロスボウを装備していたのは25名程度でした

連隊:10から18個中隊
連隊は前方列、中央列、後方列、最後方列の4つのグループに別れていていました
(4列横隊と言う意味では有りません)

前方列:将校、良質なアーマーを装備したパイクマン
中央列:ハルベルダー、ソードマン(敵隊列の側面に攻撃を仕掛ける機会を狙っています、主に膠着状態時)
後方列:その他のパイクマン
最後方列:ドッペルゾルドナー
アルケビューザー:散開して側面、後方、時には前方にも

70 :名無し三等兵:2016/07/12(火) 22:39:22.15 ID:/PrHhK0h
>>69
貴重な情報ありがとうございます
だいたい知りたいことがまとまりました
重ね重ね本当に感謝いたします
勝手にやってきて聞くだけ聞く態度申し訳ありませんでした

71 :名無し三等兵:2016/07/14(木) 20:52:05.30 ID:SNG/1YLe
とらっしゅのーとで誰か記事あげてたような

72 :名無し三等兵:2016/07/19(火) 00:43:32.33 ID:m+nM2Elg
大宰府の九州国立博物館の火縄銃展に行ってきました
火薬を入れるカ所は銃口と火皿だということは理解してるんですが
火皿という装置がある意味がいまひとつ分かりませんでした
直接銃口側に点火すると、暴発の危険があるから火皿という前段階をおくんですか?
すごく基本的なことで気が引けますが……

ついでですが、この展示会は小規模でしたが火縄銃を直に持って重さを体感できたので興味ある人は是非おすすめします

73 :名無し三等兵:2016/07/19(火) 19:21:31.93 ID:XMhSEGtR
日本にはほぼ完成の域に達した瞬発式火縄銃が入ってきて試行錯誤の歴史が短いからメカの必然性が判りにくいね

古くは短い銃口側から導火線や焼いた針金を突っ込んで点火する打ち上げ花火と同じ方式に始まってる
後に銃身に小穴をあけて詰められた火薬へ焼いた針金を突っ込んで点火するよう工夫され
さらに銃身上に火皿を作って伝火薬を盛り、そこへ火種を押し付け点火する確実な方式へと発展
狙いを付けられるようメカを工夫し引き金で火縄を火皿へ押し付けるよう出来上がったものが完成形

要するに火皿は確実な発火と射手の安全を確保するためのものだけど
さらに安全確実な雷管が発明され構造上火皿は不要になった

74 :名無し三等兵:2016/07/19(火) 21:37:05.07 ID:9N54fd5T
ありがとうございます
伝火薬、確実な発火というワードで何となく理解が進んだような気がします

実物を見てますます欲しくなってしまって模型を購入しようか検討中……

75 :名無し三等兵:2016/07/20(水) 12:51:36.87 ID:OZngnbHN
いま火縄銃値下がりしてるから
本物買っちゃいなYO

76 :名無し三等兵:2016/07/20(水) 21:00:11.85 ID:lNm7354E
>>75
本物www
そういえば今でも火縄銃を作っている人はいるんだろうか?

77 :名無し三等兵:2016/07/20(水) 22:54:11.11 ID:VaX7/M6u
美術品としての古式銃なら所持OK
新造品はNG


古式銃について 警視庁
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/drug/kenju/koshiki.html

年代的
現代銃

 日本製〜 概ね慶応3年(1867年)よりも以後に製造された銃
 外国製〜 概ねそれよりも後に我が国に伝来した銃

古式銃

 日本製〜 概ね慶応3年(1867年)以前に製造された銃
 外国製〜 概ねそれ以前に我が国に伝来した銃

中略

 古式銃として登録、所持できないものに、

 現代銃に該当する
 登録後に現代銃に改造された

等があり、いずれも違法な銃となります。

78 :名無し三等兵:2016/07/20(水) 23:08:50.42 ID:boqZQzzR
狩猟用の散弾銃という名目ならいけるんじゃね?
基本18番以内だからイギリスのブラウンベスは駄目だけどシャルル・ヴィル系なら着剣装置を無くせば
条件は満たすし

79 :名無し三等兵:2016/07/21(木) 23:07:27.00 ID:K8YVGae6
骨董市に行けばやたら安いのが見つかる事もあるけどいいかげんな代物がほとんど
馬上筒と称して明らかに銃身を切り詰めただけのものや雷管仕様などと称したデタラメな変造品もあった
壊れてるものを少しでも高く売ろうと手を加えて台無しにしちゃってるんだよね…

80 :名無し三等兵:2016/07/22(金) 16:03:08.83 ID:CkTzXIvs
日本の火縄銃が戦国期にあれ以上発達しなかったのってやっぱり完成度の高いものがいきなり入ってきたからかな
欧州じゃ種子島で売った火縄銃は試行錯誤の到達点の一つに過ぎなくてフリントロックや雷管式から金属薬莢
さらには後装填へとどんどん進化しているのに日本じゃ大量生産こそしたけど基本形状とか幕末までほとんど発展が無いね
火ばさみの松葉バネをゼンマイ式にして銃床内に組み込んだものもあるけどほんの一部だし

81 :名無し三等兵:2016/07/22(金) 19:19:44.56 ID:GwWFjNWJ
元和偃武以降、戦争がなくて実用的には狩猟用途限定、しかもグリップとフロントエンドの二点支持式が圧倒的に普及した状況じゃ、
火縄銃から先の改造は命中精度が落ちるだけで有害無益だったというのはよく聞くね。
ストック付きの三点支持なら発火機構改良も意味もあるんだが、狩猟用(空砲威嚇用含む)には銃が長くなりすぎて取り回しが悪くなるからな。

82 :名無し三等兵:2016/07/24(日) 22:50:15.61 ID:GD3ALgI4
命中精度にこだわったが故に結果的に発展しなかったてのは言えるかも
良質の火打ち石が産出しなかったから日本じゃフリントロックが発達しなかったというけど
硝石自体が大量に輸入されていたんだし必要なら買ってたはず

83 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 15:07:43.04 ID:uHUGC1ck
命中精度にこだわって割には独自にライフリングも発明できなかったんだから
単に需要がなかったってだけだろ
明が火器の発展を15世紀で止めてたのと同じ

84 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 21:59:14.43 ID:0pwWbUBK
>>83
ライフリングってそんなに容易に発明できるもんなの?

85 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 22:35:02.99 ID:yCtL1Wv+
弓矢も矢羽根の作用で回転させることで飛翔が安定すると経験的に知られていたから
江戸期も工夫というものが続いていたらライフリングに気が付いていたかもね
まあそんな需要が生じないほどの長い太平のほうがはるかに価値あるけど

86 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 22:46:08.76 ID:toAEpLlO
ライフリング自体は日本に伝来したいわゆる種子島より先に知られてはいるんだが
冶金技術が追い付かなかったんで。

87 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 23:12:46.86 ID:0pwWbUBK
>>86
ああ発明する必要はなかったんだ
ありがとう

88 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 23:26:56.63 ID:8D/Qx6s+
江戸時代の武具関係は、守旧型・既存の軍備を維持するだけなんだよ
民間〜藩まで軍備増強は厳しく規制されてるし、武士の鉄砲は武芸化されてるし。

89 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 23:42:07.06 ID:g9NeRc1c
外敵もいないのに軍備近代化しても社会不安の種になるだけだし、基本的に健全な判断ではある。
対外交流ルートを極度に絞りすぎたのは失敗だったけど…江戸時代中期、アラスカあたりまで進出していた時期のロシア相手になんか手を打てなかったかなあ。

90 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 23:48:55.43 ID:toAEpLlO
幕閣中枢はいろいろ手を考えていたんだが水戸と長州・薩摩が全部ぶち壊した
江戸時代の水戸のゴミっぷりは二代目が領地経営失敗したときに改易しなかったことを
心底悔やむレベル

91 :名無し三等兵:2016/07/25(月) 23:58:03.44 ID:g9NeRc1c
それは言える。水戸学がなけりゃ幕末以降の日本史はもう少しまともな方向になっていただろうな。皇国思想が亡くなるだけでまるっきり違うもの…

92 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 00:00:52.30 ID:V9DFGqMp
高島流なんかでヤーゲル銃使ったときの射手の感想や使用感ってどんな感じだったんだろう?

93 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 18:03:53.41 ID:gtpGfNKn
でも、銃弾をただの球型から椎の実形にするのに時間かかってるのは不思議だよね。

矢じりと同じく尖らせればいいんじゃね?っていう発想がなかったんかな

94 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 18:11:06.61 ID:3KPTln1J
>>93
いや、肝は先とがりではなく、後ろの凹みだから。
不思議に理解されていない?

95 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 19:44:41.92 ID:7Abj9lAE
>>93
椎の実形の弾丸を銃口からスムーズに装填出来、尚且、発射時には弾丸がライフリングに食い込む様にする為の工夫が大変だったからでは?
その答えが>>94さんの指摘

96 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 21:39:53.12 ID:BVQXocOI
ライフリングの無い銃身でも戦車砲のAPFSDSみたいなものなら高威力の銃弾になったかな
焙烙火矢なんて凶悪な兵器があったわけだし

97 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 22:08:50.20 ID:IwDCZhQ9
サボの分離が上手くいかないと思う

98 :名無し三等兵:2016/07/28(木) 12:50:37.36 ID:rrDbvOPf
というか貫く装甲がないから作る意味がないな
そこまでしなくても鎧は用をなしてないし

99 :名無し三等兵:2016/07/28(木) 20:24:16.91 ID:iIfJxmRE
後は射程延長だろうけど横風に弱くなるだろしな

100 :名無し三等兵:2016/07/28(木) 21:16:29.34 ID:Zh8DO5mY
初期の小型大砲だと、対重装騎兵用に矢型の砲弾を発射するものはあったよ
矢のお尻に木製の円盤型の栓を付ける。焙烙と違って矢は砲身内に収まる形。
バリスタを火薬推進にしました、みたいな概念の兵器だね

また円形の砲弾に取付ける木製のサボもあった。全体で見るといわゆる砲弾型に
なってて、当然サボは発射直後に分離。
これはマスケットで使う紙薬包の 紙+底板 の部分と同じ役割を期待したものだね

101 :名無し三等兵:2016/07/31(日) 02:26:32.02 ID:Nj5wJpyH
NHKの日曜の海外ドラマ、三銃士の次はBBC制作の戦争と平和だけど結構良作の予感

102 :名無し三等兵:2016/07/31(日) 02:26:52.55 ID:Nj5wJpyH
URL張り忘れ
https://youtu.be/H-BCmUeHE5c

103 :名無し三等兵:2016/07/31(日) 21:03:22.73 ID:YuKs2lJl
1450年くらいのヨーロッパとオスマンの軍とかだと横隊でも兵の間隔ってどれくらいだったの?
もう肩が触れ合うくらいぎっちぎち?

104 :名無し三等兵:2016/08/01(月) 10:42:10.18 ID:XxmNe8qK
>>103
槍兵とかだと密集するほど強いけど銃兵はそこまで密集すると装填しにくくなるし横の人の火花や煙が邪魔になる

105 :名無し三等兵:2016/08/01(月) 14:04:06.94 ID:xZx0g6vf
黒沢映画の「乱」の城攻めで階段に銃兵がどっと押し掛け一斉に発砲するんだけど
後ろの人の銃が前の人の耳元で発砲しちゃって鼓膜がやられてそうなシーンがある
実戦だったら顔半分コゲてたりするんだろうね

106 :名無し三等兵:2016/08/01(月) 15:42:39.97 ID:2Znu6kWQ
>>103
15世紀は不明ですが

17世紀中盤の聖教徒革命時
(何れも、パイクマン、マスケッティア共通)
一般的な間隔のOrderが3ft (91.44cm)
一番密集している間隔のClosest Orderが6in (15.24cm)
どの部分で測った長さかは不明ですが・・・

19世紀初頭のナポレオン戦争時
(パイクマンは姿を消していますが・・・)
イギリスが22in (55.88cm)
フランスが26in (66.04cm)
ロシアが27in (68.58cm)
何れの国も、正面を向いた兵士同士の肘から肘までの長さです

107 :名無し三等兵:2016/08/11(木) 21:28:49.42 ID:Fng5q9jU
もののけ姫で業病の人達が造っていた石火矢って薬室が取り外せるフランキ砲みたいな鉄砲って実際あったのかな?
からくりはともかく銃身をどうやって作っていたのやら謎は多いけど

108 :名無し三等兵:2016/08/15(月) 18:10:59.21 ID:WrA7konW
>>107
ヨーロッパの物ならこのフォーラムに
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=7364

109 :名無し三等兵:2016/08/17(水) 12:24:55.83 ID:QB0OcmGR
突然ですが軍事パレードについて
パレードアーマーというものがあるから鎧を装着していた近世以前にも軍事パレードはあったんでしょうか?
概要は近代のものと大差ないのでしょうか?

110 :名無し三等兵:2016/08/18(木) 01:21:55.25 ID:CCYyQ+aj
閲兵式や凱旋式は軍事パレードには入る?入らない?

111 :名無し三等兵:2016/08/18(木) 14:15:28.84 ID:xddPTJk9
[BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊

112 :名無し三等兵:2016/08/18(木) 21:46:02.04 ID:GCgSsmRI
佐賀藩の大砲製造設備は本当にこんなんでちゃんとしたものが作れたのか疑問って言われてるけど
>>108の試行錯誤を繰り返した時代の大砲を見ちゃうとあれでも良いモノなんだろうなあ

113 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 16:27:48.57 ID:+CxjZIrj
国産大砲ってムクの砲身を鋳造してから砲口を削り出していたようだけどなんでそんな方法なんだか
ライフリングを刻んだ型を鋳型に入れておけば先込め式ライフル砲が簡単にできたのに

114 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 17:07:10.32 ID:WoqpvqQA
ド・ヴァリエール「」
グリボーヴァル「まあ、まあ」

115 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 20:44:58.04 ID:kDC7+/hD
>>113
多分強度と構造の複雑さが原因だと思う

溝全部に綺麗に流し込むって難しいし砲身に大きめの「す」ができたらそこから暴発する

「す」ってのは鋳型に金属を流し込んだ時にできた気泡や不均一に固まったせいでその部分の強度が弱くなってしまう現象

あと、金属製品は切削加工→冷間鍛造→熱間鍛造→鋳造の順で精密さと強度が強い(一般的には)

銃の部品は冷間鍛造や切削加工が多いよ

116 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 22:26:22.55 ID:YE7gsG7r
砲身は鋳造よりも穿孔で作った方が、精度も強度も大きくできるから
強度増大により砲身自体の薄肉化・軽量化を図れるので、当時の技術レベルでは
特に野砲製造には穿孔式が必須だった(じゃないと重いor小さい砲になってまう)

117 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 22:28:27.44 ID:YE7gsG7r
大砲製造における穿孔砲身は18世紀ジャン・マリッツによって導入されて、
当時の大砲に大革新をもたらした。それぐらい、違いが出るのよ

118 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 22:30:33.51 ID:OoZSTmFX
後、命中精度も向上したよね
砲腔と砲弾の許容誤差を0.5センチまで縮めることに成功したけど
ライフル砲ではこれを更にキツくすることが求められる

119 :名無し三等兵:2016/08/22(月) 22:35:34.76 ID:OoZSTmFX
>>118の2行目
砲身削りだし式の野砲の代表格であるグリボーバルシステムが抜けてた

120 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 14:33:25.54 ID:MU5Mldne
ワーテルローの映画見たんだけど陣形を整えるフランス軍をイギリス軍が暢気に眺めてたのはなんで?
射程内に入ってるんだしイギリス軍は準備万端なんだから撃てばいいのに

121 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 14:40:38.15 ID:ziogQH7Y
映画だからだろ

122 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 15:12:21.85 ID:m3N8iecN
種子島にポルトガル船が漂着し、ポルトガル人から火縄銃が伝わった…って話だけど
実はポルトガル船じゃなく倭寇の船で、この時代の倭寇は中国人の商人集団…って高校講座でも教えるようになったね
ずいぶん以前に明らかになってる事なのに、ここまでくるのにどれだけかかったんだ

123 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 16:13:21.65 ID:QtmFIXgZ
後期倭寇でも三割程度は和人で、和人が指揮官や軍事力担ってたと
明代の資料ではっきり書かれてるんだけよね

124 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 19:24:40.62 ID:vF4r1xmq
「1493」に出てるが、戦闘要員としてのサムライは重宝されてメキシコあたりまで流れてったそうだしな、当時。

125 :名無し三等兵:2016/09/02(金) 20:21:50.31 ID:ErNLtwxl
>>120
イギリス軍の準備万端とはフランス軍を迎え撃つ防御の事かと

砲兵は攻勢の為の集中配備では無く、中隊単位に分割され各歩旅団に貼り付けられていました
本来は攻防共に機動的に運用される筈の騎馬砲兵さえも歩兵旅団の支援の為に張り付け配置に
もっとも、それら張り付け配置の騎馬砲兵はフランス軍騎兵による波状攻撃の最中、その士気と練度の高さを示す事になりましたが

因みに映画の中で「射程に捕らえた」云々言っているのは騎馬砲兵
彼らの6ポンド短カノンでは、対峙する尾根のフランス軍は射程外な気も・・・

つまり、一部の砲兵が景気付け程度の砲撃が出来る位で、守備やカウンターの配置に着いている歩兵や騎兵を動かすなど以ての外
こんなん感じかと

126 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 16:29:52.18 ID:ZoaSQZck
まあ、昔は火縄銃は連射に1分以上の時間がかかる
何て話が主流だったのは事実だな
火薬を入れて玉を詰めてと順にやっていれば時間がかかるのは事実だが
実際は合戦では早合のように弾と火薬を一体化する工夫が早くになされ
以前、言われたほど連射性は悪くはなかったのだよね

127 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 16:31:01.74 ID:ZoaSQZck
>>122
倭寇説も明確な根拠は無いのではないの?
ルートを考えれば、その可能性が高いってだけで

128 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 17:25:57.26 ID:sjPY8zDy
>>126
実際には火薬が散ったり、銃身の強度のせいで早合使っても
速度あげられなかったと聞くがどうなんだろうね

129 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 17:34:28.30 ID:Cxx0yhHx
真田筒みたいに早合に特化した火縄銃なら早かったんだろうね
でも幸村(仮)が家康の目前で取り落としちゃったというから使い勝手は今一つな気もする

130 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 17:47:58.45 ID:ZoaSQZck
釣キチ三平でマタギが村田銃で羆と戦っているのを観て
村田銃が欲しさに、猟銃免許を取ったのだが
村田銃はけっこう高いな。

131 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 19:53:20.32 ID:oWn/xwqx
会津・庄内は売国奴


http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg

 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。

132 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 19:53:45.47 ID:oWn/xwqx
 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)

09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html

133 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 20:14:44.97 ID:sjPY8zDy
土地の貸与が売国に当たるとは過分にして知らなかったわw

134 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 20:21:20.62 ID:AUVF9MN8
>>133
現代はともかくこの頃は借りると言ってそのまま占領してしまうような帝国主義万歳な時代だからなあ
長期化したら薩長側がイギリスに貸したりして分割統治されても不思議ではなかったね

135 :名無し三等兵:2016/09/23(金) 21:51:30.68 ID:+UmNR2la
どのみちWW1で取り返すよ

136 :名無し三等兵:2016/09/24(土) 15:29:15.37 ID:go6McxRT
>>134
香港は長期に渡る借款だったが、イギリスは中国に結局、戻しただろ
イギリスは戻したくは無かったが、中国側が一戦を交えても戻せと迫ったから
イギリスには選択権は無かったのだよ
対照的なのはマカオ
マカオはスペインだったかな。よく覚えていないが
そこが中国から借り受けていたが、本国の国力では海外領土として植民地を維持するのが
逆に負担になっていた。
だから宗主国の方も返還に対して反発は少なかっただけに、議論はとんとん拍子に進んで返還になった。

ま、要するにその時の国力の差が大きくものを言うってことだ。
あくまで、北海道を貸与した場合でも、我々が知っている通りに歴史が進んだ場合を前提にしての話だが
その場合、第一次大戦の後で、ドイツは敗戦したし。北海道は日本に返還となったのではないの?

137 :名無し三等兵:2016/09/25(日) 19:56:00.78 ID:4+G6BKWD
今日の23時からBBC制作の「戦争と平和」がある

138 :名無し三等兵:2016/09/26(月) 00:08:31.80 ID:o8x0jMIt
イギリスにはああいうロケ地がまだあるんだね。

139 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 17:14:55.04 ID:eG9z69oE
種子島の銃口とブランベスの銃口みると銃身の分厚さが物凄く違うけど
18世紀のマスケットの銃身ってどうやって作ってたの?

140 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 17:30:23.13 ID:jqz+RlQZ
祭りで火縄銃暴発事故
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161009/k10010723941000.html

いくら大切に扱っても消耗品だからねえ
戦の最中もこんなことがよくあったんだろうけどね

141 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 20:17:46.40 ID:uJufGfmG
>>139
鍛造だから多分こんな感じで作ってる
https://www.youtube.com/watch?v=7Yu1gIVT4hA

142 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 21:11:14.79 ID:vhxnXQFs
>>139
18世紀頃までだと、種子島なんかと一緒で、鉄の棒に薄い板金を巻き付ける製法が主流のはず。
19世紀後半には、鉄の棒を作ってから、真ん中をくりぬく製法が主流になってます。

ブラウン・ベスはどっちだろう、100年以上にわたって作られているから、
細部の設計は色々と変化しているし、生産時期によって製法は違うのかも。

143 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 00:08:55.33 ID:GZ91VmEo
>>140
祭りで撃つのなんて空砲なのにそれで暴発なんてあるのか?
よほど銃身が腐食してたり肉が薄くなってたりしたのかね

144 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 08:13:17.13 ID:xIbGSyRS
>>140
>>143
不発だった装薬を取り除かずに次を装填したと
これって暴発って言うのかな?

145 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 10:47:17.47 ID:xHryjN0p
>>144
二重装填による腔発かなあ。

そもそも、暴発って、射手の意図と無関係に銃弾が発射されることを言うんだから、

>火縄銃を撃ったところ、銃が暴発

って、言葉の意味的におかしい気がするが、まあ、いいか。

146 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 11:10:03.89 ID:H1zrIwCt
興味のない人に腔発だといっても伝わらないし、短い単語でニュアンス伝えるならいいんじゃないの
言葉の意味は変わっていくもんだし

147 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 13:52:16.17 ID:arDgYtJ7
まぁ射手の意図しない結果をもたらした発砲すべてが暴発の範囲かな

148 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 09:55:15.72 ID:zs+IgVJy
いくら倍量の装薬でも、空砲で壊れるあたり
相当経年劣化が進んでたってのはありそう

149 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 20:37:33.81 ID:crZxGbYW
なんで左手が重傷なんだと思ったら左肩に担いで後ろに撃ってたのか
まともに構えていたら顔までいっていたな…
しかし不発だったらどうするのが正解なのかな
遅発なんてこともあるだろうし危なくて触れない

150 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 20:40:50.44 ID:79X9TURd
この事案なら水張った桶用意しておいて放り込んで近寄らず一晩放置でいいんじゃね

151 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 21:39:27.58 ID:QcfPd4sf
言われてみれば先込めの多重装填ってどうやって対処してたんだ
それこそ「戦場では有りがちな事」扱いだよねこれ

152 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 22:06:10.37 ID:ZYvPA5mS
不発が出たらラムロッドの先端にワームを取り付けて、それで弾を抜き出してたよ
ワームは弾薬盒に入れて有ったみたいだけど、全員が持っていたのか、何人かに一人(例えば下士官とか)なのかは分からない

153 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 22:10:23.28 ID:dB/3kdEI
大抵の場合もう一度撃発すればいけるんやない?
前スレで誰かが上げてくれた米軍が試験したデータによると燧石式(M1822)の不発率が6発に1発、
雷管式(M1842)が166発に1発となってたけど
撃発機構以外はほぼ同一といって良い銃でこれほど違いが出るってことはただ単に火薬に上手く着火してないだけと思える

154 :名無し三等兵:2016/10/22(土) 17:40:16.65 ID:Z7eWyJS3
>>148
こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしいね
実射よりもマシマシで火薬入れたのに更に火薬入れたから爆発

155 :名無し三等兵:2016/10/22(土) 17:42:05.24 ID:3O71ELdP
>こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしい
根拠なく妄想で語るのやめてくれませんかね

156 :名無し三等兵:2016/10/24(月) 17:48:27.20 ID:xmp7bUuS
なんで妄想だと思った?

157 :名無し三等兵:2016/10/24(月) 20:47:42.19 ID:LY/QYCKE
南米だかどっかでハンマーの先に火薬を取り付けてドカンとやるお祭りがTVで紹介されてる
みんな目立とうとエスカレートして火薬を詰め過ぎて毎年ケガする奴が出るそうで同じ心理だろうな

158 :名無し三等兵:2016/10/24(月) 21:29:06.91 ID:Lane+wEX
>>156
実際に銃を撃っている人間からするの火薬マシマシなんて
頭がイカレているとしか思えないからさ。

159 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 20:15:14.90 ID:ktLBujKH
でも素人は頭おかしいこと平気でするからなあ

160 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 22:50:30.15 ID:SeVpD/6X
>>152
日本の場合だと、鉄砲組頭が弾抜きを持ってると、雑兵物語に書いてある。

161 :名無し三等兵:2016/10/26(水) 12:20:59.54 ID:Js8E2gyd
ステージガン用の調合火薬を使えばいいのにね銃も痛めないし
黒沢映画だとピンク色のマズルフラッシュがすごい

162 :名無し三等兵:2016/10/27(木) 03:50:10.98 ID:YIpOCYgB
英語版wikiの「歴史修正主義」の項目に修正主義の例としてしてナポレオン戦争時の仏軍の攻撃陣形っていうのがあげられてるんだけど
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Historical_revisionism
これによると仏軍が横隊を突破する為に縦隊で戦っていたというのは昔の人の本をきっかけに広まった間違いで
21世紀に入ってからの研究でそれは否定され実際には多様な横隊をくんで戦っていたというのが正しい
とのことだけどつまり攻撃縦隊っていうのは戦場での機動性を上げる為に組んでただけで
戦闘の時には横隊に組み直してたってことで良いの?

163 :名無し三等兵:2016/10/27(木) 14:33:36.51 ID:2PfTRR2V
>>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね

従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)

また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから複合隊形を取っている時は密集距離でしたが

フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは複合隊形だった様ですよ
連隊で一つの複合隊形を組むか、旅団や師団規模で複合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)

因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な複合隊形は取っていなかったと思います

164 :名無し三等兵:2016/10/27(木) 16:51:10.93 ID:2PfTRR2V
文章が前後してしまった・・・

>>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね

従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)

フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは混合隊形だった様ですよ
連隊で一つの混合隊形を組むか、旅団や師団規模で混合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)

また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから混合隊形を取っている時は密集距離でしたが

因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な混合隊形は取っていなかったと思います

165 :名無し三等兵:2016/11/02(水) 19:30:05.93 ID:YtvcpXBg
散兵線をひく理由の一つが敵前で隊形を変える戦列歩兵を保護する為だもんな

166 :名無し三等兵:2016/11/08(火) 18:56:52.27 ID:lL5LXdsF
映画ワーテルローでもちらっと肩が触れ合うほどのぎゅうぎゅう詰の隊列の前に人三人分くらいの間隔で前進しているフランス兵の様子がみれたわ

167 :名無し三等兵:2016/11/09(水) 23:53:01.60 ID:zIWq/g+t
この時代の散兵をちゃんと描いた映画って「ワーテルロー」くらいなのかね?
ドラマとかみてると数秒のカットでちょびっと散兵戦が描かれてたりするけど

168 :名無し三等兵:2016/11/10(木) 15:45:24.91 ID:Oip4y2PP
TVドラマだけどシャープシリーズとかは?
こちらはこちらで散兵のみだったかな?
大規模会戦は少ないし、ワーテルローの回を見ていないけれど・・・

もう少し後の時代、南北戦争での横隊+散兵なら Gods and Generals の第1次ブルラン会戦で再現されていましたよ
前進シーンのみでしたが

169 :名無し三等兵:2016/11/10(木) 18:07:53.00 ID:aSHzvmr/
ふと思ったんだが西洋の戦いで夜襲ってあるんかね

170 :名無し三等兵:2016/11/10(木) 21:39:51.54 ID:ufIbbqa6
>>169
大半は遭遇戦だけれど、意図的な夜襲もたびたび行われているよ。
有名な例だと、「トゥルゴヴィシュテの夜襲」がある。

1462年、ワラキア公国の独立を意図してオスマン帝国と交戦していたヴラド3世(いわゆるドラキュラ公)が、
戦力差を覆してオスマン帝国軍を撃退すべく皇帝メフメト2世の首印を狙って宿営地に大規模な夜間攻撃を
実施した。
ワラキア軍は首都トゥルゴヴィシュテに篭城していると油断しきっていたオスマン帝国軍に大打撃を与え
戦術的には勝利したものの、戦略目標たるメフメト2世の殺害には失敗した。

171 :名無し三等兵:2016/11/11(金) 08:21:45.34 ID:HHrpYkbT
ストーニーポイント夜襲とか
ツーロン攻囲戦とか
近世だと野戦での夜襲はあんまりない感じ

172 :名無し三等兵:2016/11/11(金) 14:05:38.88 ID:lhn2UBc6
アメリカ国歌は夜戦の歌だよね

And the rockets' red glare, the bombs bursting in air, Gave proof through the night that our flag was still there,

173 :名無し三等兵:2016/11/11(金) 14:38:56.29 ID:7q2XerZ2
>>169
ナポレオン戦争中の野戦での夜襲なら、エジプト遠征中のタボール山の戦いとか
後はモスクワ遠征中のロシア軍騎兵(コサック主力)によるものとか
両例共に仕掛ける方の主力は騎兵で兵力も少なかった

大兵力の夜襲となると攻囲戦かな?
攻囲側、籠城側の両方で行われた筈

174 :名無し三等兵:2016/11/11(金) 18:45:47.20 ID:hKAc3gP4
米英戦争で米軍が素人丸出しの配置をして
夜襲食らったんじゃなかったっけな
調べたらBattle of Stoney Creekっぽい

>>171のストーニーポイントで夜襲に成功したのに
数十年後に似たような名前のところで逆を食らってんな

175 :名無し三等兵:2016/11/12(土) 02:45:44.17 ID:qoK1Vep1
スペイン軍はEncamisadaっていう夜襲で有名だったな
仲間見分けるために白いシャツを上から着て剣やダガーで敵陣襲うっていう

176 :名無し三等兵:2016/11/13(日) 11:37:55.63 ID:kXHwHUFS
Twitterでこれ流れてきて気がついたんだが
https://www.youtube.com/watch?v=4SVC_9V8K5Y
著作権法改正されてなければ来年にこれフリーになってたのか

177 :名無し三等兵:2016/11/13(日) 12:34:58.54 ID:7QF9BDWk
モスクワフィルムがつべで全編無料公開してるからとっくにフリーになったものと思ってた

178 :名無し三等兵:2016/11/13(日) 19:02:08.65 ID:cgIoHMpb
>>176
ボロディノ会戦のシーンは、どの局面の描写なのかハッキリとしないのが残念
流石にボロディノ村の市街戦や大堡塁は分かるけど・・・
ロシア軍騎兵の渡河シーンはコサックと第1騎兵軍団によるコローチャ河を渡ってのフランス軍左翼(ウージェーヌ軍団)への迂回攻撃の再現なのかな?

アウステルリッツ会戦はプラッツェン高地を降っていく連合軍が印象的
ロシア軍の軍服は確りと1805年戦役時を再現しているのに、フランス軍の軍服は後の1812年戦役の使い回しなのが・・・

179 :名無し三等兵:2016/11/14(月) 19:01:22.68 ID:nuWRiACR
戦争と平和の第3部のボロディノの戦闘シーンの砲撃や爆発の迫力はすごいんだけど実際あんなに爆発してたのか?
当時の砲弾は爆発しないだろうし榴弾砲はあったことは知ってはいるんだけどあんなに大量に使われていたんだろうか
榴弾砲が勝利を導いた戦闘とかって18世紀〜ナポレオン戦争中にあったりするん?

180 :名無し三等兵:2016/11/15(火) 23:23:50.21 ID:xlxzkuy7
現代の爆薬でもあんな派手に炎を上げて爆発しないんだよなあ

181 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 03:05:42.23 ID:hZ3x5qNR
ソ連版戦争と平和の撮影に使われたのはガソリンだから黒色火薬の榴弾よりもねっとり爆発してるね
派手だしいいんじゃない

182 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 11:00:18.38 ID:MuULr9ba
同じ様な爆発をするワーテルローもガソリンなのかな?

>>179
榴弾砲の配備数は結構多かったみいですよ

1812年戦役のフランス軍各種砲兵隊
徒歩砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門、5.5インチ榴弾砲×2門
親衛隊徒歩重砲兵バッテリー
12ボンドカノン砲×6門、10インチ榴弾砲×2門
騎馬砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門
各種歩兵連隊付属の歩兵砲小隊
3ポンドカノン砲(オーストリア軍からの鹵獲品)×2門
騎馬砲兵や歩兵砲兵を除けば、カノン砲と榴弾砲の比率は3:1
(各隊の砲のサイズは標準例なので例外有り)

1812年戦役のロシア軍砲兵隊はバリエーションが多いのですが、徒歩砲兵バッテリーのカノン砲と榴弾砲の比率は2:1でした
(フランス軍と同じく騎馬砲兵に榴弾砲は無し)
ロシア軍の榴弾砲はリコルヌ(一角獣)と呼ばれる長砲身榴弾砲で、gun-howitzerの一種でした

183 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 14:28:44.61 ID:1B+zfRHQ
前もきいたような気がしないでもないけど
バッテーリって何を示すんだっけ

榴弾砲とカノン砲の区別ができ始めたのっていつごろなのかのう…

184 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 15:30:28.10 ID:sPJwW4r0
バッテリーは砲兵中隊だゾ
榴弾砲とカノンって元の震天雷とかのことを考えると元々別々の兵器として生まれたんじゃないのかな?

185 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 20:25:34.12 ID:1B+zfRHQ
おお、なんと砲兵中隊だったのか、英語だったのね

臼砲が榴弾砲でそれ以外の砲がカノン砲になったのかなぁ
弾の問題と皮の問題は違うからどうなんだろう

186 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 21:59:08.31 ID:rnKNKwcs
>>182
長砲身の榴弾砲ってあったんですね
この時代の榴弾砲と言えば短い砲身で曲射で撃つイメージだったんですが

187 :名無し三等兵:2016/11/16(水) 23:36:36.92 ID:MuULr9ba
>>183
フランス軍を例にすると

1個バッテリー(battery)は
砲兵(大砲と砲兵が所属)1個中隊(company)
大砲輜重兵(大砲を牽引する馬と牽引具、それらを操る御者が所属)1個中隊
以上、兵科の異なる2個中隊により編成されていました

砲兵は徒歩砲兵連隊(22個中隊)又は騎馬砲兵連隊( 7個中隊)の所属
大砲輜重兵は大砲輜重兵大隊(6個中隊)の所属

batteryの訳としては、砲兵大隊、砲兵中隊、座、等々一定していないのでカタカナ表記にしました
記号としては縦棒2本なので歩兵なら大隊(battalion)に相当するのですが・・・
ここら辺は騎兵のsquadronの訳にも当てはまる問題です

188 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 11:32:18.94 ID:IFROc+x3
>>80
技術進化が実際止まるし、世界的に大々的に重火器が変化するのはもっとあとだからな。

フリントロックライフル事態は江戸時代に輸入して施策してたぜ。
そして17世紀のこうそうしきライフルにたいして、銃が劇的に進化するのは19世紀になってからだろ。
だからその間150年日本の重火器が変化しないのは必然。

189 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 14:20:34.80 ID:6udS377S
>>188
確か軍事技術の進歩に関して幕府の目が厳しいのと、
射撃時の手元の衝撃が大きくて命中精度が火縄式に劣る事が、
江戸時代にフリントロック式が流行らなかった主要因なんだっけか

190 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 14:25:05.52 ID:zDJ1O/MZ
戦列歩兵戦術も一緒に導入しないと
火縄を使わないので密集できる、というフリントロックの長所が十分生かせないしな

191 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 16:09:30.80 ID:8HIG9f+/
律令制時代に中国から輸入した矛による密集戦術が全然続かなかった日本で戦列歩兵が流行るのかというと・・・

192 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 16:10:43.09 ID:7jrw7bFu
大陸みたいな平原少ないもんな日本

193 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 17:40:07.60 ID:s4erQrcn
山がちなのが戦術や武器に影響を与えてるよね
西洋の甲冑も入ってきていたけど動きにくいと大改造され胴と兜しか使われなかったくらい
なんでわざわざと思うけど南蛮胴の耐弾性は貴重だったんだろうね

194 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 18:48:49.79 ID:7jrw7bFu
胴と兜だけは世界的な流れだけどね
http://up4.viploader.net/tv/src/vltv017444.jpg
胴と兜以外の鎧は銃弾に耐えられる様に作るの難しそう

195 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 19:45:25.46 ID:3EbsuUov
>>189
フリントロック式が衝撃により命中精度が落ちるとは言っても、射手が制御出来ない程の衝撃なのかな?
フリントロック式は軍用以前に狩猟用として広まったって経緯が有る位だし
(火縄の臭いを獲物に嗅ぎ付けられないって利点も有ったにしろ)
プロシア軍の猟兵は民間の狩猟用ライフルを流用した物を使用していたけれど、トリガープルの調整機能が付いていた位繊細?な物だったと
命中精度に影響が出る程の衝撃が有る物に、そこまでの機能を付けるか疑問が・・・
和銃の頬付け銃床が衝撃を押さえるのには不適切だったとか?

196 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 19:53:51.98 ID:7c21bvIe
国産だとフリントの質がよろしくないのも一因と聞いたことがあるが真偽は不明

197 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 21:43:48.65 ID:azTEcHHi
>>195
トリガ−の引きが硬くてガク引きになるからじゃないの?

198 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 09:59:52.12 ID:KxhCGwnX
フリントロックの最大の利点は連射性であり、つまり日本の火縄銃のほうが単発の命中精が高かろうが
連射性で総射撃量で命中精、制圧力、コスパ全部よくなるってのが後装式ライフルの利点
で精度よりも連射と制圧力で進化してきたのがライフル

実際アサルトライフルはボルトアクションライフルよりも完全に射程も命中精も劣るけど、全部負担の大きくアサルトライフル主流に切り替わったろ
これと同じ

199 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 10:02:13.35 ID:KxhCGwnX
銃がそれまでの武器と比較していかになんにおいて優れてただが
単一の兵器としてみると初期の銃はフリントロックライフルまで含めて、連射性、射程、精度、威力事態は全く大したことない。
ところが
・弓よりも錬成が容易である
・弓よりも武装が軽量で済み、低人数で運用でき補給の負担がない
・束ねうちや射撃の集約、指向がまっすぐ飛び弓より軽量なため容易であり、これによる集弾効果で
最強の制圧力、最大の射程、最高の命中精度をもった最高の武器になる。
この集弾性によって最強の武器となる特質は既に火縄銃の前から戦術として体系化されてる
・これによる効果で部隊の生存性を確実にし、また負傷兵ですら戦力化が容易であるため、生存性、持続性、射程、威力、コスパすべてが優れたハイブリッド次世代兵器部隊として運用できる

というのが銃の特質と利点。
単発、単体的な性能では劣ろうがこれ全く本筋じゃなくて、斉射=制圧力で価値が決まるってのが古典からの銃のドクトリンだからね。
それからすればフリントロックライフルの登場と採用は最適な戦術で高度な戦略的な選択肢であり
火縄銃の単一的な射程で評価する方向性は戦略的、部隊単位の戦力比較では大きく間違ってんのよ。
銃はフリントロックライフル登場で制圧力あがって、戦列歩兵なんていうものができるようになったてのが
進化だったわけだから

200 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 11:59:31.05 ID:KxhCGwnX
もっとも日本軍は銃器にたいして物資の負担、消耗が追いつかなかったから、消耗的にフリントロックライフルに切り替えれなかったんだよ

既に火縄銃の消耗でも1丁に対して戦時1000発/年、平次200発/年、備蓄弾は約1丁2000発単位の計画でいくと
戦時「鉄3.5kg、硝石650g」、平時「鉄700g、硝石150g」、備蓄2000発で「鉄7kg、硝石1.3kg」も消耗する。
既にたった1丁の連射の効かない火縄銃でも莫大な物資消費量

仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。

そんなわけで江戸期に硝石を輸入して硝石自給率は低かったのだが、火縄銃数万丁の運用が硝石調達都合で限界
仮にフリントロックライフルに切り替えたら国産で1000丁未満しか運用できないために、フリントロックライフル切り替えはむしろできなかった

そんなわけで戦国時代に銃器が10-20万丁あったってのは盲言で、あれってEUにおいて一種の黄禍論やら対日侵攻世論を巻き起こすために作ったプロパガンダで
実際銃は2-3万丁の運用が限界で5万丁も生産してなかった、これは硝石の輸入と消費、銃の生産速度上それ以上作ることができないから

201 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:22:21.90 ID:fW+azOsw
小文字君こんなところにも現れるのか・・・

202 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:35:15.08 ID:KxhCGwnX
また当時火砲はほぼ運用してなかったが当時の火砲の砲弾が1-2kg、装薬が500g/発であるとして
1時間に20発、1日100発も砲撃できないとしても

一度の大規模交戦で200発/門
一度の戦争で500発
維持に年次100発を消耗すると備蓄1000発硝石300kg、維持年次30kg
大隊で門数16-24門で備蓄数トン、維持に年500kgも硝石を消費するためむしろ完全に維持、保有できなかった。
江戸時代に火砲は大隊規模でモスボ保管されてたが、砲撃などは数十年に一度、年次ペースで1発程度も砲撃っsれてなかった

こういった実情から幕末でペリー前に火砲の整備計画はあったものの幕府は渋ってて
(火砲大隊の維持に年1トン弱の硫黄の輸入、重要港湾に各大隊を整備し10大隊編成すると、硫黄の消費額だけで年10万両規模)
結局ペリー前の軍事整備ができなかった。

幕末における軍事支出は年次10-30万両規模(年度により50万両下手したら100万両)
これを税収100-150万両の幕府では維持できず、借金を重ねて軍事整備を行ってたが、これはまともな値段で日本に対して商売した結果。
逆に不平等条約以前だと日本にたいしてまともな商売を行うかわからなかったから
同じ額を消費しても軍事整備はうまく行かなかったかもしれない。

203 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:36:14.57 ID:KxhCGwnX
16-17世紀に話を戻すが、当時火砲大隊でトン単位、銃5000丁の戦列歩兵連隊で30トンの硝石を年単位で消耗するために
日本の師団は戦国期には銃保有10%計算で編成10-15師団規模、動員力50万はあった。
しかし同時代の白人並の火砲+銃保有計算にすると、3-5師団しか保有できず、後方支援団を充実させて7-10師団も持てない。

すると当時5師団程度しか保有しない白人国の軍と同規模になるため、目立って規模の巨大な日本軍とのギャップは解消され、日本は普通の軍事大国規模で
EU連合には完全に叶わない事になる

日本が江戸時に年次10トンの硝石を輸入し続け、備蓄100万トン体制を構築したとしても
ナポレオン戦争時代においては1師団で維持に年50トン、戦時で100-200トンも硝石を消費可能なため
この時代においては10万トンの消費量では2-3師団、備蓄100万トン体制でも5-7師団しか維持できなくなる。

ナポレオン戦争代においては日本軍はオランダ軍並みの戦力しか軍事開発を推進して戦力を最新化させ続けても無理であるため、もうこの頃には中堅程度の軍事力しかなかった

204 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:36:46.00 ID:KxhCGwnX
日本軍は戦国時をピークに衰えるが、あれはコスト都合、平和都合ではなく、硝石自給都合によったため
これによって日本軍は最新化させ続けても、維持可能な予算であれば
ナポレオン戦争期に正規師団5個未満、フリゲート10-20、
ペリー段階でその1.5倍の戦力も元来維持できず、幕末軍未満の戦力しか保有できなかった。

また明治初期も金銭都合以上に、鉄と硝石の生産力都合で物的に軍事増強ができず、日清日露戦争まで軍拡出来なかったが
工業生産的都合で軍拡できなかったんだよね。幕末ー明治の5師団編成って国力限界で打倒で
最低限の侵攻戦力対処に妥当な軍事力

205 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:48:03.14 ID:KxhCGwnX
こういった実情がむしろ明懲罰(死傷損害1-3万にたいして相手は死者のみで10-15万)、日清戦争で軍以前の雑魚を斬殺しまくったことで
雑魚素人相手の勝利で強い日本軍と一般的に軍ヲタ?の間でご錯覚されてるが
極端的に軍事遅れ以前に重無能指揮で軍事敗北する雑魚チャイナに対する当たり前の勝利でご錯覚されてるだけであり
資源的に弱い日本軍は江戸時代が軍事的ごまかしのきく(EU軍は小さく太平洋に来れない)限界であり
また弱すぎるチャイナ軍あいてこその限界でもあった

そういうわけで日本は客観的に物量的には今の自衛隊程度の戦力が資源都合で限界であり
そこそこ強い地域軍事大国的ではあるが、あくまでチャイナに勝てる程度でスーパーパワーには全く及ばない。
なぜならスーパーパワーは資源包括大国であり、軍事コストを下げれることが前提

よって帝軍は工業力以前に資源時給を太平洋戦争下でも完全確率してないから、とてもスーパーパワーではなかった。
ぶっちゃけハイパー雑魚チャイナに打痛作戦をかける程度の雑魚に勝てる弱小軍が日本軍、戦国軍

206 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 12:53:00.30 ID:KxhCGwnX
つまり日本軍は火縄銃までの消耗が限界で物量資源負担で軍事進化しようがなく、黒船と不平等条約は軍事を常備化でおいだせたが、3-5師団もいじできないために
ある程度の不平等条約は結び、明治でも実際そうであったように、不平等条約に屈したろう(マシ程度にはなる)

硝石の消費ペースは戦国軍で師団10トン/年、17世紀で30トン/年、18世紀(仮定)で50トン/年、ナポレオン軍で150トン/年
を生産できるとして、フランスの例で年300トンまでしか人糞法で生産できず(日本ならば500-700トンが限界か)、大量供給は1820年のチリにおける硝石鉱床の開発からであり
それ以前はむしろチャイナとフィリピンでフル生産してすべての硝石を年間100万両以上だして購入したところで、
それほど大規模な1000トン単位などの供給はできなかった(というかこれだけ運べば商船不足で日用輸送を圧迫)

であるため硝石の様々都合でどちらにせよ日本軍は近代化障壁があり、戦国を臨界点として
努力改善したところで、江戸期に十分な大国軍事力構築は無理で、せいぜいオランダ軍規模で
フィリピン、アリューシャン列島、ハワイに牙城作るのが軍事国力限界だったろうな。

とすれば外交、政治、軍事的には
・オランダ、イギリスに兵力を3000と物資を貸して、スペイン駆逐でフィリピン硝石利権を半分貰う
・鄭成功政権が成立+兵力と物資を支援して、鄭成功は大陸一部の硝石鉱床を獲得、維持
・オリバークロムエルの乱は起きずイギリス同盟が成立
・オランダ、イギリスに外交アドバイスされて、外語、国際法、国際紛争、の知識をもとに、ハワイ、フィリピン、ASEAN、アリューシャン、北方領土などの一部を獲得。

とかこういう外交ミラクルがなければ軍事や外交のレベルアップはできなかった。

207 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 14:35:32.33 ID:ENa/Ld7p
フリントロック化を含め、江戸時代に銃器の進化が停滞したのは、
鎖国による平和の下で、軍事関連が形骸化・儀式化した+中期以降は
幕藩に軍備に回す余裕が無かったのが理由だろうね。

部隊(備,組)の編成、防具(足軽用装備を南蛮胴にしたり鎧を廃止するとか)
刀の構造(鎧相手の戦闘でなければ軽い刀の方が実用的)など、火縄銃
以外にも全く変化が無い。江戸時代初頭を墨守してるだけ。
弓組なんて弾幕構成が目的なんだから、フリントロック銃化が当然の進化なのに
幕末まで弓のまんま。伊達の馬上筒部隊とか、せめてピストル持たせろと‥

んで江戸末期に大慌てで海外から物も知見も輸入しだすんだろ‥

208 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 14:41:44.56 ID:+N13OtBY
下手に開発したらそれ口実に取り潰されるからな
平和維持には最適だろうけど技術の停滞は痛い

209 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 15:41:00.82 ID:KxhCGwnX
ついでにドリフターズの描写ってあれ弾薬の生産、供給性(人糞鉱床の限界)と、火縄銃の威力と射程の上限性をあまり理解してない上での描写になってる

あれ一番問題なのは長篠の戦いまで含めても、完全に当時の銃は騎兵に勝ちきれない不完全兵器で騎兵の衝撃に敗北する。
それ以前に野戦の歩兵に勝ちきれず、歩兵のしょうげきにすら完全に勝てない。

射程と威力と補給のネックで師団規模の戦線で司令部や補給体などの一部や退路確保などで
一部的な狭すぎる戦域において銃陣阻止陣地を形成するためのものであり
野戦主力の近代銃型の兵器ではない。

ゆえに信長は信玄に負け続け、武田国の政治混乱期に物資、準備、兵力物量で押切、包囲と各個撃破で破ったのであるから
これは完全に当時の銃がコスパや同等の両規模で騎兵に勝てない最大の証明になる。

210 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 15:41:31.46 ID:KxhCGwnX
でドリフターズにおいてエンズ集団軍(装甲歩兵、胸鎧騎兵2万を含む10万以上)を阻止するのは物理的に不可能であり、相手の規模を
装甲隊5000総員3万でも阻止不可能で、あれはまさに榴弾火砲で対処しなきゃいけないもんなの。

榴弾火砲の登場でそれまでも歩兵中心の集団的な攻勢、突破を完全に叩き割ることができて、また火砲が銃に完全に対抗できる火力になった。
だから榴弾対処が正当で、銃の対処はご都合的すぎて、ホントは信長がグスタフ2世に榴弾をレクチャーされて火砲20-50門の支援貰わないとクリアできないシナリオになる。

でこの無敵砲台榴弾砲兵を撹乱して回避して破るのが騎兵の役目で、ここで三兵が成立するんだよね。
つまり戦国軍の限界と弱さは榴弾+三兵まで行けなかったことで
銃弾を全面化させてその銃物量で対処するのは高コスト、非効率的な前時代的な物量アプローチで
イメージはスペインのてるしお単純物量法に信長軍のイメージは近いが
あれは三兵とドクトリンで撃破できて、その三兵とドクトリンスタイルでもって、近代軍、あるいは亜近代軍という次世代の圧倒的な軍事スタイルになるのであり

つまり信長軍はそれ以前のところであるために、単に銃の門数と物量もあって、銃1万丁を配備するか(補給も生産も無理)、銃がマモン平原古城床から見つかるか
、グスタフ2世が火砲50門を伴って参戦するか(ヒラコーは絶対やらずまずその知識がない)
、飛竜に12.7mm機関銃をのっけて弾幕をはるか(威力は17世紀の火砲なみだろうが持久力がない、しかしやり損そうな展開である)

ホントはグスタフ王だすのが正しいんだけど、ヒラコーはバトルアクション書きたいから、大砲の知識があってもそれはありえない
ヒラコーは信長と島津が活躍しないような、活躍が隠れる作りにはは絶対しない。

但し白人の軍ヲタに突っ込ませればグスタフ2世よこせで解決ということにしかならないんだと思う。

211 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 16:09:51.39 ID:+N13OtBY
銃なんかよりジャンヌとかアナスタシアとかの方が不思議能力だしな
黒王軍が銃にビビる訳ないわ

212 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 18:54:45.03 ID:hzFks+Q6
小文字くんへの推薦参考図書貼っておくね
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%90%E6%96%B0%E7%89%88%E3%80%91%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%96%87%E6%8A%80%E8%A1%93-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022618450

213 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 19:01:13.39 ID:mTtAOS8c
>>212
https://www.amazon.co.jp/dp/4062130947/
こっちの方が内容(ほぼ)いっしょで読みやすくてええよ(糞レス)

214 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 21:35:06.02 ID:M8JdbJmJ
いや小文字くんは別に読んでもらいたいわけじゃないからw

215 :名無し三等兵:2016/11/21(月) 19:23:46.62 ID:UfdevkSF
1625年の後装式銃デスって
https://youtu.be/beOgmCxeh7A

216 :名無し三等兵:2016/11/21(月) 20:03:23.67 ID:IsnkKgZS
>>210 ランペルールを棺に入れてくれゆーてる作者だし、いずれなんか出てくるだろ。

217 :名無し三等兵:2016/11/24(木) 19:00:03.28 ID:swcyzESU
>>215
sugeeeee
200年前にスナイドル銃と変わらないし閉鎖方式を考えてたわけか

218 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 08:23:13.03 ID:N1abs+cf
>仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
>完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。
江戸期の加賀藩は年に4トン余りの硝石の生産を行ってるから
日本全体で生産を勤しんで年数トンというのは過小評価かと
加賀藩は廃藩時には560トンほどの火薬を備蓄してたと言われている

219 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 09:47:33.53 ID:dma9U9fa
肥料とトレードオフなのが厳しい

220 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 10:43:16.61 ID:sYI7omzf
>>215
予備のカートリッジケースが有れば速射も出来るんだね
サックス元帥が理想とした編制では、散兵には後装ライフルを持たせるべきと有ったけれど、その1世紀以上前に存在していたとは
まぁ、軍用に求められる耐久性や費用の面から装備化は無理だったのかな?
彼の理想の編制自体が実現していないし

221 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 11:48:51.73 ID:uj9CFdg+
南部藩は幕末に藩を挙げて硝石産出に励み、古土法により年最大28tを生産。
加賀が江戸中期に年産4.5t、幕末には最大年50tまで産出量を急増。

古土法は数十年土を休ませる必要がある。南部の硝石は幕末期の総生産高が
4万貫=150t程度と目されている※。古土法による安定収穫を30年周期とすれば、
150÷30=5t/年。日本全体の人口を、江戸後期で3000万・戦国で1000万(±20%)と推計。
江戸後期 南部藩の人口は約35万人。
単純に人口比を当てはめれば、江戸後期=5t・90倍=450t、戦国5t・28倍=140tが
国産硝石の安定生産量限界と目される。って感じかなぁ‥

※南部は産出開始が1848年と遅く、維新後は産出量がほぼゼロに戻ってる。
 少な目に、幕末の4万貫で古土が払底したと見積もり。

222 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 23:40:49.33 ID:wuU81vIc
>>215
ガス漏れとかどうしてたんだろ

223 :名無し三等兵:2016/11/26(土) 14:13:51.43 ID:zzUmJAJ1
>>222
金属製薬莢っていうか火薬ケースで閉鎖を行う方式みたいだね
水圧プレス機なんてない時代だから火薬ケースをおいそれと使い捨て出来ないのがネックか

224 :名無し三等兵:2016/11/26(土) 16:46:54.99 ID:GN4IuRYJ
欧州じゃ本当に試行錯誤がすごいね
王公貴族や大商人なんかが資金を出してくれる仕組みがあったようだけど
日本で行われた改良なんか微々たるものであることがよくわかる
まあ欧州はそれほど高性能火器が渇望されるほど戦乱に明け暮れていたってことなんだろうけど

225 :名無し三等兵:2016/11/27(日) 09:40:07.32 ID:zoxpGLcX
戦闘無いから日本での改良は巨大化、多砲身、仕込み銃、等のゲテモノ方面に行ってたからな

226 :名無し三等兵:2016/11/27(日) 10:56:14.66 ID:vcUPMea7
>>215
これ火薬ケースは鉄製だろうけどどうやって作ったんだろう?
火薬ケースのコストが解消できたら大量生産されたかもしれないなあ。

227 :名無し三等兵:2016/11/29(火) 10:16:37.09 ID:WAY1ZAki
このスレの扱う時代から800年ほど前の遺構だが、7世紀に大したモンだな。


大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
http://news.livedoor.com/article/detail/12343773/

>大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、
>未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。

> 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡(太宰府市)から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁の
>ようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で
>東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの尾根をほぼ南北方向に約500メートル(残存部分
>390メートル)にわたって走る。周辺は宅地開発され、どこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で
>造られていた。

228 :名無し三等兵:2016/11/29(火) 14:26:38.19 ID:OZqWkQ66
7世紀あたりってえと、白村江で下手打って大陸から叩き出される前後の本土防衛遺構か。
ダンケルク前後の英国が、RAF(レーダーサイト網含む)に費やしたのと同等以上の比率で国力を費やしたんだろうねえ。

229 :名無し三等兵:2016/12/01(木) 20:29:38.14 ID:UDYA2ccC
叩きだされた後の防衛線だよ。唐・新羅の整備された軍にまともに勝てなかったんで
あわてて律令制取り入れて統治機構再編していた時代

230 :名無し三等兵:2016/12/01(木) 23:21:20.52 ID:zv8ZUJWx
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3c/Camel_artillery_iran.JPG

http://www.nico video.jp/watch/sm30143304

231 :名無し三等兵:2016/12/02(金) 19:24:17.20 ID:F2ExgLRG
ww2時代のドイツ軍の10.5cmleFH18を使うシリア反政府軍の動画をみたことはあるがまさか19世紀以前の青銅砲まで使っているとは・・・
爆発しない鉄球弾だからこそ建物にとっては脅威なのかもしれないが・・・w

232 :名無し三等兵:2016/12/05(月) 08:26:56.79 ID:aL9dVwnt
動画:ナポレオンの雄姿を本格再現、チェコで歴史イベント
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3110122

233 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 13:42:23.59 ID:gaiYsIQh
グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされていますが、三列射撃はどういう局面で使われるものなのでしょうか?
六列横隊を三列ずつ射撃させるのは射撃間隔が開きすぎるように思えますし、一列ずつの斉射と使い分けていたのでしょうか?

234 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 13:48:17.23 ID:FyzZX826
>グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされています
誰が言ってるの?初耳

235 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 13:53:32.36 ID:gaiYsIQh
>>234
wikipediaのPike and shot(英語記事)と田村尚也『用兵思想史入門』
この時代は全く門外漢なので、グスタフが始めたかどうかの真偽も含めてお聞きしたいです。

236 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 14:26:50.08 ID:BRb0UhSJ
グスタフ・アドルフの軍制改革で小銃の軽量化できたから
3列ずつ交互の一斉射撃が可能になったって本に書いてあるし
グスタフ・アドルフが始めたのは正しいと思う

神聖ローマ帝国軍はテルシオだったんだし射撃速度は問題無かったたんじゃないかな

237 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 15:13:38.00 ID:QSguAooI
日本人がイメージする信長の三段撃ちみたいのじゃなくて
6列とかのカウンターマーチで敵陣に近づいていってある程度近づくと
3列に展開し直して3列同時に一斉射撃するんでしょ。

238 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 15:46:47.81 ID:BRb0UhSJ
この時代、部隊規模の隊形変換は戦闘中にやらない
正面16列、縦深6列の横隊で槍隊の両翼に配置してた
射撃戦は1列目膝撃ち2,3列目立射で行ってる
同時じゃなくて交互の一斉射撃

239 :名無し三等兵:2016/12/11(日) 17:35:04.48 ID:TXRuBQ3P
もともと考案されてたものをマウリッツが取りまとめて
グスタフ・アドルフが大規模戦で初めて使ってメジャーになって
ナポレオンも使ってた。

240 :名無し三等兵:2016/12/20(火) 04:19:05.05 ID:zYzTX9+8
「華麗なるナポレオン軍の軍服」を買ったけどこの時代の兵隊でも礼服とか勤務服とかの区別はあったんだな

241 :名無し三等兵:2016/12/20(火) 08:07:43.24 ID:I9m4snrw
>>240
きっちりとした規定が有ったのは親衛隊位ですが
親衛隊徒歩擲弾兵や徒歩猟兵の下士官兵士用ゲートルなら
礼装は白に白のくるみボタン
夏服は白に真鍮ボタン
野戦は黒に真鍮ボタン
将校なら
礼装は白に白のくるみボタン
野戦はブーツ
等々
親衛隊騎馬猟兵に至っては服のデザイン自体が別物だし

戦列部隊ではシャコーに飾りを着けるか否か位で、野戦用のズボンは部隊や個人で調達した規定外の代物だし・・・
流石に腰丈の兵営服兼作業服は親衛隊、戦列部隊共に支給されていましたが

でも、大事な?アビコート(燕尾付)を痛めない為、夏冬関係無くグレートコートを着用した姿が戦場でのフランス軍歩兵だったと
ワーテルローでの親衛隊徒歩擲弾兵も映画とは異なりグレートコート姿、ベアスキンも多くの兵士は被っていなかった

イギリス軍ではパーティー用のドレスコードまで有って、映画ワーテルローの夜会シーンで再現されています

242 :名無し三等兵:2016/12/23(金) 16:25:32.67 ID:+rzpPJAJ
映画でも絵画でも再現したら、なんも見えなくなるからしないけど黒色火薬の
煙がすごくてアレくらい派手じゃないと統制できないんだろうね

243 :名無し三等兵:2016/12/23(金) 21:58:26.17 ID:+6nwR8BJ
以前読んだワーテルローの本には
18万の兵士と300門の大砲の出す煙により、1950年代のロンドン(スモッグによる大気汚染が市史上最悪だった)並みに視界が遮られていたと思われる
みたいに書かれていましたよ
両方を経験した人間は存在しないので、適切な喩えなのかは不明ですが

識別の為か、国毎に軍服のベース色がある程度は決まっていましたね
フランスなら青、イギリスなら赤、ロシアなら緑みたいに
でも、白は多くの国(オーストリア、ザクセン、イタリア、スペイン等々)で被って使われていました
その為に同士打ちさえ起こったと

ワグラム会戦でザクセン軍歩兵がオーストリア軍歩兵と間違われ、味方から発砲を受けました
しかも、同じザクセン軍歩兵から・・・
これにより攻略寸前だった村落を失う事に

244 :名無し三等兵:2016/12/23(金) 22:55:31.54 ID:OmWuIrE1
今までボロしか着たことない農民とか都市の下層階級の若者が
軍隊に入ればああいう軍服を支給されるのは嬉しかっただろうな

245 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 03:25:03.64 ID:xmoDr5E9
>>243
横レスな上にスレ違いスマンのだが
ロンドンの大気汚染が最悪だったのは1950年台だったのか
石炭使ってたビクトリア朝だと思いこんでたわ

246 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 07:07:15.34 ID:bqx7KY3H
>>244
これって重要みたいですね
軍服で釣るのって

少し時代がずれるけれど、南北戦争での両軍義勇兵連隊の軍服が正規軍に比べて華美だったのも、これが目的だったと
移民向けに出身国風(英仏伊)の軍服で郷愁を誘ったのも有りましたが、仏軍ズアーブ式の軍服は出身国に関係無く人気が有りました
維持するには旅行鞄で持ち歩く必要が有ったのでは?と、現在のコレクターに言わせる程華美な代物でした

247 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 07:15:16.20 ID:bqx7KY3H
>>245
石炭由来の汚染は20世紀当初が最悪だったみたいですね
スモッグと言う言葉も、この時に出来たと
対策を打ち改善して行きましたが、それを追い越す勢いで車の排ガスに依る汚染が拡大
1950年代は複数の原因からなる汚染が最大になったそうです
中でも1952年が最悪
ロンドンの大気汚染は濃霧と相まって、特に視界への影響が凄かったらしいです

248 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 18:48:44.06 ID:6GGgqONq
フランス王国陸軍の歩兵の制服って白だっけ
オーストリアも確か白だったからわかりにくそうだね

19世紀以降のあのフランス軍の青と赤の制服はどこからきてるんだろう?
パリの衛兵からだっけ?

249 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 19:07:06.23 ID:01yzpRK+
由来はそうなんだろうけど、革命後はトリコロールの色っていう意味もあるんじゃない?
19世紀末期に赤と青と白の糸を使った紫色の軍服が試作されたりしてるし

250 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 21:02:25.06 ID:bqx7KY3H
旧王制時代のフランス軍白軍服が全連隊オーストリア軍の様に純白1763年の規定からだった様です
それまでは純白に加工された軍服を着用していた連隊ばかりでは有りませんでした
費用の面からと思われますが、灰色掛かった白の連隊も多く有りました
また、革命以前にも近衛・騎兵・外国人連隊を中心として、青の軍服を着用していた部隊が有りました

251 :名無し三等兵:2016/12/24(土) 21:04:30.52 ID:bqx7KY3H
>>250
抜けました・・・

純白になったのは1763年の規定

252 :名無し三等兵:2016/12/29(木) 14:15:30.70 ID:eVOr2uHH
>>244
傭兵ブレーカーさん読むと兵隊の暮らしがわかるぞ
全体のごくちょびっとしか兵隊時代の話ないけど(書くのも嫌らしい)

>>245+247
パリは今現在大気汚染がひどくて車を日ごとにナンバー奇数偶数で分けて走らせるとかひどいことになってんぞ



しかし純白の軍服とか平時にはきれいでかっこいいかもしれんがすぐに汚れて金ばっかりかかるだろうにようやる

253 :名無し三等兵:2016/12/29(木) 21:43:28.02 ID:bvy6lLpS
>>252
ナポレオン軍の戦列歩兵も1806年4月に純白のアビコートを採用しています
王制の軍服を懐かしがった訳では無く、イギリス海軍の封鎖によりインドから染料のインディゴを入手出来なくなったので・・・
この白服は評判が悪く、青の代用染料を国内で生産出来る様になった事も合わせ、1807年10月に青服に戻す通達が出ました
採用期間が短かった為、白服への切り換えが行われていたのは20個連隊程度でしたが

254 :名無し三等兵:2016/12/30(金) 00:03:08.16 ID:79eNnoxN
これか
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/fe/0e/14/fe0e14c09dd5a5211e42486a47802387.jpg
確かにシャコーとコートの不調和感が凄いな

255 :名無し三等兵:2016/12/30(金) 13:38:05.97 ID:2ZU6RTGi
なんで評判悪かったんだろ(誰が批判したかも気になるけど、兵隊か着てるのを見た偉い人か)
やっぱり洗濯が大変すぎたのかな

256 :名無し三等兵:2016/12/30(金) 13:59:01.96 ID:kEn7CI45
>>254
そう、これです
1806〜1807年に掛けて帽子関係もビコーンからシャコーへの切り換えが始まったので、上下の組み合わせが新旧入り雑じってしまった様です
アイラウ会戦での軍旗のエピソードで有名な戦列歩兵第14連隊はビコーン+白のアビコートの組み合わせで1807年戦役を過ごしたと言われています
1807年のスペイン戦役にはシャコー+白のアビコートに部隊で調達した茶色のオーバーズボンと言うちぐはぐな姿で従軍した連隊も

1809年11月、この混乱が終わった頃にスーシェ元帥は
「ごちゃ混ぜは終わった。ビコーンはもうたくさんだ。白服はもうたくさんだ。」
と、書き残していると
でも、この白服はフィギュアモデラーには評判が良いんですよねw

257 :名無し三等兵:2016/12/30(金) 14:16:04.51 ID:kEn7CI45
>>255
汚れ易いのも有りますが、負傷時には出血が目立つので士気(本人と周りの両方)が下がるので不適切だと

オランダやザクセンと言った同盟軍も白服、そもそも宿敵オーストリア軍が白服なので、あらゆる点から紛らわしいとか?
旧王制と同じシステム(白服の各部の定色で連隊を識別)なので、未だに多い共和派から嫌われたとか?
(ナポレオン戦争従軍記の著者は戦場では皇帝万歳を叫んでいましたが、ナポレオンの事を革命の簒奪者と呼ぶ事さえ・・・)
後半の2つの理由は想像ですが

258 :名無し三等兵:2016/12/30(金) 14:21:32.35 ID:2ZU6RTGi
>>257
あー確かにすぐ真っ赤になったら本人も周りもすげービビルわな

わざわざ敵同じ格好ってのもそりゃ誰も賛成しないわな
真似してるみたいで腹立たしい(実践的に何かすごい効果があったら真似せざるを得ないけど)

259 :名無し三等兵:2017/01/04(水) 20:44:43.69 ID:6OwNUSVL
19世紀半ばに人工染料が発明され大量生産されるようになるまで、染色した制服をそろえるのも、
結構な費用がかかったそうだからの。

260 :名無し三等兵:2017/01/04(水) 20:51:09.35 ID:6NwDPdEg
帆走艦時代の英海軍では、飛び散った将兵の血が目立たないように、艦内を赤く塗っていたって話を思い出した。

261 :名無し三等兵:2017/01/04(水) 21:12:50.23 ID:OQ8fRnr9
まさかイギリス軍の赤服も・・・

262 :名無し三等兵:2017/01/04(水) 21:19:48.09 ID:xrMul/F1
>>259
プロイセンの軍服の軍服に使われたベルリン青はそういう意味で当時としては画期的だったんだろうな

263 :名無し三等兵:2017/01/05(木) 13:39:01.65 ID:ULw6WKDN
18世紀から19世紀の初めに掛けて白軍服が多かったのも染織費用の関係なのかな?
白は基本的に漂白だから
糸や生地を痛めない漂白は、それなりに手間や費用が掛かるから、18世紀のフランス軍では灰色や黄色掛かった生なりの白の連隊も多かったと
民兵などは開き直ったのか灰色に染織してる
(染め易かったのかな?)

ナポレオン時代のフランス歩兵(親衛隊を含む)でも下士官兵の白いキュロットは生なりの黄色掛かった白
漂白すると強度が落ちるとか?
厚さの関係で漂白出来ない?
謎・・・

264 :名無し三等兵:2017/02/13(月) 07:48:15.67 ID:Cwc1QayP
日本は何で鎖国前に大航海時代の造船技術や航海術は手に入らなかったの
鉄砲をあれだけ量産したり城や何だと建築できる技術とGDPがあれば
金なんかいくらでも積めたよね
船ごと艦隊ごと買うとか容易かったろうに
海賊はいくらでも買えたろう

蘭学事始並の語学力がいるわけでもなかろうに

265 :名無し三等兵:2017/02/13(月) 12:10:22.52 ID:npZYIzz2
秀吉の朱印船数百隻は洋式帆船と中国帆船の良いとこどりの構造で東南アジアを縦横にしていたし
伊達政宗のサンファン・バウティスタ号は幕末の咸臨丸に250年近く先立って太平洋横断をやってるし
最新の造船技術や航海術は江戸時代初期に入手していて日本にとっての大航海時代は目前だった
それを止めたのが徳川幕府で、船は1000石積みの一本マスト以上の高性能な大船は建造禁止
何より幕府以外の海外交易禁止という政策のせいで、日本の海外進出は300年以上遅れることとなった

266 :名無し三等兵:2017/02/13(月) 14:52:05.80 ID:/EYJch6T
>>265
これ以降、幕末にヘダ号が作られるまで西洋式造船は途絶えることに・・・

267 :名無し三等兵:2017/02/13(月) 21:43:55.12 ID:/HCundpW
>>265
いや、和船が1本マストの1000石積み以下に制限されたって俗説で、実際にはそんな禁令出てないんですが。
いわゆる千石船が標準的なサイズになったのは、それが一番経済的だったからで、
幕府の制限によるものじゃないし、マストは普通2本、幕末期だと3〜4本が普通ですよ。

268 :名無し三等兵:2017/02/14(火) 20:36:25.58 ID:AQopXsL+
参勤交代とか公共工事等の経済的締め付け
で大船を作る余裕が無かった
んじゃないの?
どこの藩も借金まみれだし

269 :名無し三等兵:2017/02/14(火) 21:25:10.97 ID:hkZ6eLYJ
てか、西欧式の大型船を作る意味が無いよね
藩独自の海外交易が出来た訳でも無いし

270 :名無し三等兵:2017/02/14(火) 21:44:47.00 ID:B1z+s51R
独自の海外交易が禁止された時点で外洋航行能力のある船は持てなくなって
沿岸航行用の割安な和船で充分て事になったのは仕方ないけど
「空には動かない星が一つだけある」だなんて話が口伝になってたり航海術まで退行しちゃったね

271 :名無し三等兵:2017/02/15(水) 23:07:00.23 ID:mhiPFxRJ
海外交易は儲かるから、家康は俺の幕府だけでやる、お前ら禁止がいつのまにか
幕府自体も長崎だけになってしまったのは極めて日本的だ

272 :名無し三等兵:2017/02/15(水) 23:13:51.67 ID:NnekA4Ip
貿易するとキリスト教に浸透されるという諸刃の剣があるから

273 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 12:42:07.57 ID:2woBKFo6
スペインが布教とセットじゃないと絶対に交易を認めないというスタンスだし
じゃあ来んなつっても紛れ込んで来るし、統制がきつくなるのは仕方がない

274 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 13:35:13.58 ID:DVw8hZ4l
はっきり近世に入ってもな…ハワイにキリスト教を持ち込んで崩壊直結の統一させたのはスペイン人じゃないのは確かだし。

275 :名無し三等兵:2017/02/22(水) 05:07:10.26 ID:QlU2pTqF
ラッパ銃って嘘みたいな名前の銃を知ったんだけど
これって何時頃に登場したものなんでしょうか?

276 :名無し三等兵:2017/03/06(月) 16:07:45.43 ID:I9f7WV7S
>>267
俗説ではない
江戸幕府は1635年に500石以上の船を禁止し没収した
が、3年後には商船については例外とした

ただし百-五百石積ががメイン(弁財船)
19世紀初期には菱垣廻船が千石積
19世紀後期には樽廻船が1400石から1800石積を主に
なかにゃ二千石、三千石積も登場している

俗説は
"甲板、竜骨、二本以上の帆桁、二枚以上の帆の使用の禁止"の方ですな
単純に内海航行用の船なので竜骨はいらないし、
帆が一つなのは水夫の省力化が目的で、必要なら補助の帆を張った
甲板がないのは荷物を多く詰むため
さらに言えば洋船とくらべると建造コストが安かった。商用船だからね
以上の理由から使用され無かっただけで禁じられてはいなかった

277 :名無し三等兵:2017/05/06(土) 21:14:47.81 ID:NpCnVxUO
キリスト教なんて信じる者しか救わないケツの穴の狭い神様は日本にはそぐわないんじゃね?

278 :名無し三等兵:2017/05/06(土) 23:40:21.99 ID:qMGUFd8n
でも苦しさゆえに信仰するの日本人もいるんだな

279 :名無し三等兵:2017/05/07(日) 02:00:45.05 ID:XqAmkI2x
神の前では皆平等・信仰さえあれば誰もが救われる って教義は
社会の中上層以外の-持たざる者にとっては正に福音だったのよ

定められた諸々の寄進や儀式を継続してやらないと先祖もお前も救われんで〜
墓建てて毎年供養して〇回忌盛大にやろうね♪なんて当時の庶民には夢のまた夢。

戦国時代に一向宗が爆発的な普及と狂信的な支持を得たのも、正にこれ故。
当時の日本にはピッタリの宗教形態ですがな

280 :名無し三等兵:2017/05/08(月) 08:53:59.25 ID:LVBhwzK7
すでに"南無阿弥陀仏"と唱えれば阿弥陀様に救ってもらえる(これは方便なのでちょっと違うんが)
というキリスト教より制限が少ないお手軽宗教浄土真宗があったし
ただひとつの仏を拝めばそれで良し、の日蓮宗も存在したので
キリスト教の入り込むニッチが…

なにより先祖崇拝の強い日本人に「神を知らないものは天国に行けない」なんて説いて
「じゃあうちのご先祖様は天国に行けないのか。なのに俺だけ天国行くとかそんな不義理はできん」
と論破されて退場

281 :名無し三等兵:2017/05/08(月) 08:58:01.07 ID:LVBhwzK7
それにアブラハムの宗教の中でキリスト教だけが階層的な身分制度を取り入れているので
神の前での平等はただのお題目に成り下がってたし、国家とつながって他国への侵略にも手を貸してたので
為政者にとっても平民たちにとっても奇妙な宗教にしか映らなかったという

282 :名無し三等兵:2017/05/08(月) 16:21:35.12 ID:StH1ILwv
それでは、一向宗やキリスト教が爆発的な普及をした事も、その後の(厳しい禁教下ですら)
根強く信仰が続いた事についても、何の説明もできないでしょう。
そんな事は無かった・あり得たはずが無い、と主張したいのならともかくさ
当時一向宗があれだけ急速かつ強固に普及した事が、当時の浄土真宗含めた既存の
仏教・神道がニーズと合致していなかったから、でしょ?

それに先祖崇拝が強い‥って、それが庶民層に普及したのは江戸時代に入って以降の
事でしょ。土地・階層への定着と帰属意識とのセットでの事ですので

基本的には宗教や教義は何でも良かったんだと思うのよ。絶望的・不安定な状況下にある
ものにとって、「コレが正しい道。コレで救われる」「あなたは正しい・無価値じゃない」って
言ってくれる、既存のシステムとは別な何か って事が重要なんでさ。
オウム、IS、アラブの春 なんかに救い/希望を見たのと同じ構図だね

283 :名無し三等兵:2017/05/09(火) 23:19:58.89 ID:RWLbahzB
宗教にあんまり興味ないんで本も流し読みでメモとって無いから
話半分で聞いてくれるとありがたいが

戦国期の宗教を取り扱った本(多分一向宗が専門の神田千里の本)で
キリスト教と日本的仏教が似てるとイエズス会自体が認識していて
一向宗もキリスト教もその日本的仏教に合致する路線(大名から庶民まである程度共通する宗教観)で布教したから成功した
みたいな話があったと思う

284 :名無し三等兵:2017/05/10(水) 15:30:13.36 ID:WaUztxTP
神田千里の本だとキリスト教は日本人に受け入れられる段階で変質化して
島原の乱の時点ではまんま一向一揆になってたという論調だったな

285 :名無し三等兵:2017/05/20(土) 19:41:16.87 ID:NnqYKtSg
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ   いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,   
   ~i_ンイノ

286 :名無し三等兵:2017/05/21(日) 21:15:57.78 ID:x75O8BDB
http://getasword.com/blog/wp-content/uploads/2010/09/German-ww2-cavalry.jpg
そういや近世〜近代の短銃じゃなくて普通の長い銃もった騎兵の構え方ってどんなの?

287 :名無し三等兵:2017/05/22(月) 00:00:45.17 ID:Owx+aAq2
>>286
なかなか検索でひっかからないな。英語で検索すると下馬戦闘ばっかりやってるし……。
ミニチュアゲーム用のフィギュアの写真が出てきた。
http://altefritz.blogspot.jp/2014/02/16th-dragoons-painted-samples.html

288 :名無し三等兵:2017/05/23(火) 20:20:10.90 ID:Nnh6UwxK
>>286
ブッコワ少佐の記録イラストに馬上で射撃中の物が何点か有ったはず
でも、検索したら竜騎兵の物しか見当たらなかった・・・

Bucquoy+英語かフランス語での兵科名
Bucquoy+uniform
Bucquoy+Grande Armee
この辺りで検索を

普通の構え?以外に、左腕を水平にして肘から「く」の字に曲げて、その肘の上辺りで騎兵銃を支える感じの構えが載っていたのだけれど
(西部劇なんかで有る構え?)
確か、ユサールか騎馬猟兵だったかと

289 :名無し三等兵:2017/05/24(水) 01:35:20.69 ID:2lB52jHi
これの39秒あたり? 内容的にもどんぴしゃりだと思うんでまずは通しで見てみて。
http://www.dailymotion.com/video/x2vrd69

290 :名無し三等兵:2017/05/25(木) 18:11:28.90 ID:emtz9KLd
http://greatestbattles.iblogger.org/Renaissance/05_Mtd_Arquebusiers.jpg

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